よせばいいのに自分の書き殴った駄文を読み返してみたりする。決まって殺して欲しくなる。
過去に書いた様々なモノ、レポートだったり脚本だったり日記だったりは僕のように自信のない人間には、奴らから責められている気さえしてくる。皆、本当にスマン。 何が悪いってそのどれ一つ取っても満足出来るモノに仕上がらなかったことだ。気の利いたフォローを入れてくれる心温かい人もいるが、やはり自分次第な問題なのだろう。 調査不足だったり表現が甘かったり時間がなかったり、理由は後付けで込み上げて来る。いやはや情けない。 ふと思う。書くことに生涯を賭けた文人達は何を思っていたのだろう。 ただ、例えば漱石が自分の最高傑作は「坊ちゃん」だと考えていても僕は「我輩は猫である」のほうが面白いと感じれば、僕にとってはそれが真実で良いと思う。 原作者であろうと僕が何を感じるかを作品からコントロールすることは出来ない。漱石にしてみても僕にしてみても互いに「知ったことか」で済む話ではある。 おや?そうなると僕の駄文達も受け手次第な問題になってきたぞ。公開してしまった駄文達は僕の手を離れてもうコントロール出来ない。それを読んで誰が不快になろうが感動しようが互いに「知ったことか」になっちまう・・・ま、いいか。 漱石先生の文学と僕の駄文を同列に考えるのは正に曲学阿世の徒だが、こう考えるとこんな駄文も多少は抵抗無く書ける。 とか思いながら、よせばいいのにまた過去の駄文を見つけてしまう。そして、あ~ぁ。 幹事:佐藤 PR |