皆が投稿しない日に投稿する、というスタンスでいたら最近はめっきり投稿しなくなってしまった。スタンス故に公演前も公演中も公演後も沈黙を続けてきた。ま、いい。今から投稿するし。
様々な思いがある。この一ヶ月、僕にとっての芝居の難しさを痛感した。いやはや。沈黙は金、雄弁は銀とは良く言ったもんだ。なので金を目指してみたくなる。 中禅寺秋彦氏をご存知だろうか。彼なんぞはまさに金を得た人に見える。しかも金を得ただけでは飽き足らず、随所に銀も散りばめる。ここがすごい。雄弁が銀だと知りながら、自らを貶るように語る。いや、弁舌を奮う。 なるほど、金と銀は使い分けると格好良い。なんだか自分を省みると、話すべき時に黙り、黙るべき時に雄弁な気がしてならない。あ~ぁ。 幹事:佐藤 PR
好きな歌が幾つもある。超好きな歌も幾つかある。人生に影響を及ぼしたのも少しだけ、ある。
別にお気に入り曲を紹介するつもりではない。曲にせよ出来事にせよ出会いにせよ天啓にせよ、人生の横っ面をひっぱたかれて進行方向がねじ曲がっちまう時があったりする。 そんな時、ねじ曲がる前の自分が何だか別人のような、そんな奇妙な感覚を覚える。僕は僕、とか言っといても、実はこんなもんである。 今気付いたが、「変わったね」「相変わらずね」とか言われたら、どちらも反応に困る点は同じだ。 僕は保守的な思考に陥りがちなので僕自身変わりたくないし、周りも変わらないで欲しい。無理は承知だが。留まろうとする力、変えない力、守る力に憧れる。 こんなことを考えていたら死神がやってきそうだ。奴はロマンがないらしい、実に気が合わなそうだ。 おや?ニュルンベルクのマイスタージンガーが聞こえる。こんな時間に誰だろう。 幹事:佐藤
随分と昔の話だが、ある日ガリレオが木星に望遠鏡を向けた。肉眼では決して見えない衛星が見えたそうだ。
しかし哲学者は言った「筒越しに見えていてもそこに本当に存在している証明には成り得ない」 さもありなん。 ハッブル望遠鏡は130億光年以上離れた光を捕らえている。その光は130億年前に放たれた光だ。 肉眼で見に行くことは決して出来ない、物理的最果て。試しにキロメートルで表してみようか。光は秒速約30万kmだから、それを一年間に換算して・・・それに130億掛けてみたら・・・て、そんなもん本当に存在してんのか? 実は最果てなんてのは存外近くて、土星辺りが行き止まりなのでは。それより先は全て見えている様に見えるだけ。超越者の見せる幻とか全人類共通のバグとか、そんなんだったりして。 実際見たり触ったり出来ない以上そんな妄想もあながち間違ってないかも。 僕の好きなSF色の強い話になってきた。でも僕はそんなことが知りたいから夜空を見上げる訳じゃない。 なんつーのかな。夜空の中で、星のない黒い部分に望遠鏡を向けて覗けば、そこには確かに星が見える。普段見えないものが見える。こうなると見えていない時も存在を感じるようになる。 もっと沢山ある気がして、もっと遠くがある気がして望遠鏡を覗き続ける。 哲学もSFも130億光年もない。星を見ている間はそんなこと考えもしない。 幹事:佐藤 |