よせばいいのに自分の書き殴った駄文を読み返してみたりする。決まって殺して欲しくなる。
過去に書いた様々なモノ、レポートだったり脚本だったり日記だったりは僕のように自信のない人間には、奴らから責められている気さえしてくる。皆、本当にスマン。 何が悪いってそのどれ一つ取っても満足出来るモノに仕上がらなかったことだ。気の利いたフォローを入れてくれる心温かい人もいるが、やはり自分次第な問題なのだろう。 調査不足だったり表現が甘かったり時間がなかったり、理由は後付けで込み上げて来る。いやはや情けない。 ふと思う。書くことに生涯を賭けた文人達は何を思っていたのだろう。 ただ、例えば漱石が自分の最高傑作は「坊ちゃん」だと考えていても僕は「我輩は猫である」のほうが面白いと感じれば、僕にとってはそれが真実で良いと思う。 原作者であろうと僕が何を感じるかを作品からコントロールすることは出来ない。漱石にしてみても僕にしてみても互いに「知ったことか」で済む話ではある。 おや?そうなると僕の駄文達も受け手次第な問題になってきたぞ。公開してしまった駄文達は僕の手を離れてもうコントロール出来ない。それを読んで誰が不快になろうが感動しようが互いに「知ったことか」になっちまう・・・ま、いいか。 漱石先生の文学と僕の駄文を同列に考えるのは正に曲学阿世の徒だが、こう考えるとこんな駄文も多少は抵抗無く書ける。 とか思いながら、よせばいいのにまた過去の駄文を見つけてしまう。そして、あ~ぁ。 幹事:佐藤 PR
自分がオタクだという自覚はバッチリある。が、よくよく省みてみると僕は何オタクなのだろう。
ゲームもアニメも漫画も好き過ぎてたまらないが、例えばゲームなら師匠(自称ゲーオタ)や丹野さん(自称ゲーム好き)に遠く及ばない。アニメや漫画なら岩崎さん(収拾癖有り)遥か高みにいる。。ガノタっぷりは貴志やのんさんが鉄壁。 おや?もしや僕はオタクではないのかもしれない。一般的で普通で凡庸なのかもしれない。ワーイ。 そこら辺は置いといて、僕は本は好きだ。集めるのも読むのも好きだ。特に探していた本がブックオフの100円コーナーにあった時は狂喜乱舞してしまうくらいだ。 が、例えば、どんなに面白い本があったとしても面白さソノモノは実はゲームのほうが上だと思う。更に言うと、面白くない本よりクソゲーのほうが断然面白くない。プラスにもマイナスにもゲームのほうが優れている。 結局僕がオタクな僕たる由縁はゲームなので(発端は恥に塗れているので黙秘します。)今もやめられないでいる。 ただし最新ゲームには殆ど興味がない。やるのはドラクエ5だったりファンタジーゾーンだったりサクラ大戦だったりロードランナーだったり、レトロゲーばかりだ。 おぉ、僕はレトロゲーオタクだったのか。意外にすんなり納得。 幹事:佐藤
卵が先か鶏が先か。そんな話がある。
やられたくないことはするな、なんて言う。でも、自分がしなくてもやられる時はやられるもんで、そんな時は怒りの矛先を何処へ向ければいいのだろうか。怒りより哀しみ、か。 僕は相手の変化を気にしない、ように努めている。例えば友人Aがこの先、社長になろうがニートになろうが海賊王になろうが僕はAをAとしか見ない。いや、見られない。寧ろ今まで構築してきた対応を変える方が難しい。 好奇心は世界に向けて欲しい。個人に向けないで欲しい。 ゴシップなんぞはもう見るに耐えない。よくもまぁ、あそこまで他人の領域にズカズカと入って行ける。金のためにしても悪趣味極まりない。 今回はちと語調が強いなぁ。たぶん嫌な話題だからだろう。すんません。 結局、「何してるの?」とか聞かれるのが苦手で、突き詰めてみたら苦手どころか嫌だっただけのことだ。 聞かれるのが嫌、が先か。嫌だから聞かない、が先か。どちらが僕の最初だったかは例によって覚えていない。今となっては「関係ないから聞かない」も「関係ないから聞かれたくない」も甲乙無く僕の中にある。 こんな当たり障りない無難なトークを嫌だとか言ってるからコミュニケーションが苦手になるんだな。あ~ぁ。 僕は僕で、貴方は貴方。それ以上でも以下でもない。それで一緒に過ごす時間が楽しければ充分過ぎる。その中で話したいと思うことは話すよ。聞いて欲しいことは聞くよ。飯ぐらい奢ろう。 そんな希薄とも逆に信頼とも取れる関係を目指し日々をダラダラと生きている。 昔こんな話をしてみたら某新郎からダメ出しを頂いた。公開してみた今、どうなることやら。 幹事:佐藤 |